第 44 回   カバー と 扉絵 に 見る エロティック な ヴィクトリア 朝 ─ ─ 田中 孝信 ( 田中 孝信 ・ 要田 圭 治 ・ 原田 範行 編著 『 セクシュアリティ と ヴィクトリア 朝 文化 』 )   本書 を 手 に 取っ た 読者 は 誰 しも 、 装幀 の 美し さ に 魅せ られる だろ う 。 それ は ひとえに デザイナー の 渡辺 将 史 さん の おかげ な の だ が 、 カバー と 扉 の 図版 を 選ん だ 者 として 、 序 章 の タイトル に も なっ て いる 「 横溢 する セクシュアリティ 」 の 有様 を それら 図版 の 観点 から 述べ て おき たい 。 -- 。 そして 、 愛 ゆえ に 狂乱 する 自己 犠牲 的 女性 像 は 、 世紀 末 の オフィーリア 像 に 至っ て 空 前 の 人気 を 博する こと に なる 。 これら の 絵画 から 読み取れる の は 、 男性 は 、 〈 家庭 の 天 使 〉 に は 収まり 切ら ない 、 女性 の 激しい セクシュアリティ に 気づい て 視 淫 の 快楽 を 覚え ながら も 、 それ を 表出 し た 代償 として 狂気 と 死 を 運命 づけ て いる という こと で ある 。 そ こ に 女性 の 潜勢力 へ の 恐怖 を 見て取る の は 容易 だろ う 。 -- ( 左 ) 【 図 1 】   ( 右 ) 【 図 2 】   女性 の セクシュアリティ が 帯びる 潜勢力 ゆえ の 女嫌い 。 それ を 深 読み できる の が 、 カ バー 背 に 採り上げ た 、 官能 的 な 絵画 の 第一人者 ウィリアム ・ アドルフ ・ ブーグロー ( 1825 - 1905 ) の 《 クピド と プシュケー 》 ( 1889 ) 【 図 3 】 だ 。 「 クピド と プシュケー 」 の -- [ 4 ]【 図 4 】   この よう に 絵画 一つ 取り上げ て も 、 そこ に は セクシュアリティ が 横溢 し て いる 。 もち ろ ん 画家 たち は 、 猥褻 と 非難 さ れ ない ため に 、 本 コラム で 取り上げ た 図版 に も 見 られる よう に 、 多く の 場合 、 神話 ・ 伝承 ・ 文学 など と 関連 さ せ た 。 だが 同時に 神 々 や 英雄 は 、 人間 の 情念 や 運命 を 凝縮 し た よう な 、 人間 以上 に 感情 的 な 存在 で あり 、 彼ら の セクシュ アリティ は 人間 精神 そのもの と 強く 結びつい て いる の だ 。 そうした セクシュアリティ を いかに 表現 する か 、 あるいは 、 表現 さ れ た もの を いかに 読み取る か は 、 家父長制 イデオ ロギー を 基軸 と する 権力 に対する 姿勢 次第 で ある 。 権力 は 、 芸術 、 法律 、 宗教 、 人類 学 -- 間 ない 言説 化 によって 「 正常 」 と 「 異常 」 を 明確 に しよ う と する 。 この 状況 に 疑問 を 感 じ 、 密か に あるいは 公然 と 反抗 する 者 が 出 て くる の は 当然 の 成り行き で あろ う 。 彼ら の 内 に 胎動 する セクシュアリティ に 気づく とき 、 私 たち は ヴィクトリア 朝 が いかに 権力 と 性 と の 闘い の 場 で あっ た か を 理解 する 。 現代 に 生きる 私 たち は 、 社会 ・ 経済 の 変化 を 伴 う 時 の 経過 によって 、 多様 な 性愛 や 家族 の あり方 を 獲得 し た か に 見える 。 今や マスメデ -- と なり 、 「 愛でる 女 」 と 「 愛で られる 男 」 の 関係 が 生じ さえ する 。 ここ に 至る 長い 道 の り の 起点 に 、 ヴィクトリア 朝 における 権力 と 性 と の 闘い が ある の で は ない だろ う か 。 そ の 意味 で 、 セクシュアリティ という 、 ヴィクトリア 朝 文化 を 語る うえ で 避け がたい テー マ を 扱っ た 本書 は 、 表現 の 自由 を 獲得 し た か に 見える 私 たち 自身 の セクシュアリティ を 、 もう一度 権力 と の 関係 の なか に 置い て 見つめ 直す 機会 を 与え て くれる の で ある 。 [ 978 - 4 - 7791 - 2277 - 4 ] ◉『 セクシュアリティ と ヴィクトリア 朝 文化 』 カテゴリー : ほんの ヒトコト