彩 流 社 [ ] 詳細 検索 カート を 確認   会社 概要     サイト マップ     お 問い合わせ   Facebook   Twitter TOP   本 を さがす   新刊 ・ 近刊   書評 ・ 広告   読み物 ほんの ヒトコト 最新 の 記事 5 件 • 第 51 回   『 中央 駅 』 刊行 にまつわる ほんの ヒトコト ―― 生田 美保 ( 『 中央 駅 』 訳者 ) • 第 50 回   自伝 の よう な もの 、 どの よう に し て ペソア の 『 不安 の 書 』 の 翻訳 者 に なっ た の か ? ─ ─ 高橋 都 彦 ( 『 不安 の 書 【 増補 版 】 』 訳者 ) • 第 49 回   新た な 楽園 を 探し て ─ ─ 小林 理子 ( 『 アイスランド 紀行 ふたたび 』 著者 ) • 第 48 回   ポーランド 、 リトアニア の 旅 ─ ─ 講演 ・ 受賞 、 恩師 ・ 学友 と の 交流 ─ ─ 早坂 眞理 ( 『 ベラルーシ 』 、 『 リトアニア 』 著者 ) • 第 47 回   ゆ かいな セ リア と マドリッド ─ ─ 西村 英一郎 ( 『 ゆ かいな セ リア 』 訳者 ) この コーナー 内 を 検索 [ ] [ 検索 ] 月別 一覧 [ 月 を 選択 ] 第 44 回   カバー と 扉絵 に 見る エロティック な ヴィクトリア 朝 ─ ─ 田中 孝信 ( 田中 孝信 ・ 要田 圭 治 ・ 原田 範行 編著 『 セクシュアリティ と ヴィクトリア 朝 文化 』 )   本書 を 手 に 取っ た 読者 は 誰 しも 、 装幀 の 美し さ に 魅せ られる だろ う 。 それ は ひとえに デザイナー の 渡辺 将 史 さん の おかげ な の だ が 、 カバー と 扉 の 図版 を 選ん だ 者 として 、 序 章 の タイトル に も なっ て いる 「 横溢 する セクシュアリティ 」 の 有様 を それら 図版 の 観点 から 述べ て おき たい 。   カバー 表 と 裏 に 用い た の は 、 アルフレッド ・ テニス ン ( 1809 - 92 ) の 詩 「 シャロット の 姫 」 ( 1832 ) を 題材 と し た 19 世紀 後半 の 絵画 で ある 。 まずは 、 詩 の 粗筋 を お さらい し て おこ う 。 表題 の 名 も なき 姫 は 、 「 静寂 の 島 」 で 「 夜 も 昼 も 機 を 織り 」 、 彼女 の 静的 で 受 動的 な 存在 を 象徴 する 「 青い 鏡 を通して 」 、 外 に 位置 する 、 アーサー 王 の 宮廷 が ある キ ャメロット の 世界 を 見つめ て いる 。 自分 に は 「 忠誠 を 誓い 、 仕え て くれる 騎士 が い ない 」 こと も 意 に 介さ ない 。 しかし 、 鏡 に 映っ た 、 馬 に 乗っ て 通り過ぎる ラン スロット 卿 の 姿 を 見る や 、 たちまち 男らしい 彼 の 虜 に なっ て しまう 。 彼女 は 性 に 目覚め て しまっ た の だ 。 その 影響 は 即座 に 「 災い 」 と なっ て 現われ 、 「 鏡 は 端 から 端 まで ひび割れ て しまう 」 。 よりによって 、 すでに 王妃 グイネヴィア と 恋愛 関係 に あっ た 男 に 惚れ て しまっ た の で ある 。 恋 に 狂っ た 姫 は 、 小舟 に 乗る と 、 情欲 という 災い によって 「 血 が 凍っ て しまう 」 前 に 、 自分 の 英雄 の もと に 辿り つこ う と する 。 だが 、 愛する 男性 に 溶け込み 、 彼 の 「 炎 」 から 生命 力 を 得る こと は 叶わ ず 、 彼女 は 死ん で ゆく 。 その 姿 を たまたま 目 に し た ラ ンスロット は 、 まるで 物 を 鑑賞 する か の よう に 「 美しい 顔 を し た 女 ( ひと ) だ 」 と 評し 、 弔意 を 表する だけ で 騎士 として の 務め に 赴く 。   この 詩 において テニス ン は 、 女性 の 献身 的 衝動 を 前提 と する 。 それ は 、 家父長制 イデ オロギー に 沿っ て 、 公 領域 で の 生存 競争 で 汚れ 疲れ た 男性 を 癒す 〈 家庭 の 天使 〉 像 の 特 質 として 美化 さ れる もの で ある 。 しかし 一方 で 、 この 衝動 は 、 愛する 男性 へ の 、 そして 相手 が 自分 の もの に なら ない と 分かっ て いれ ば いる だけ 、 抑え よう の ない エロティック な 願望 を 帯び た 性 衝動 で も ある 。 それ を 表出 さ せ た 以上 、 狂気 と 死 が 相応しい 帰結 と し て 用意 さ れ て いる 。 その 痛まし さ が 男性 の 優越 感 を くすぐる の だ 。 どちら の 場合 も 、 女 性 は 男性 に 心地よい よう に 解釈 さ れ 、 消耗 品 として 商品 化 さ れ て いる の は 間違い ない 。   狂気 と 受動 的 で 自己 破壊 的 な 恋情 が 結びつい た 、 死に ゆく 美女 の 姿 を 、 画家 たち は 好 ん で 描い た 。 カバー 裏 の ウィリアム・ホルマン・ハント ( 1827 - 1910 ) の 下書き の 図案 ( 1857 ) 【 図 1 】 は 、 「 鏡 は ひび割れ 」 、 情欲 の 「 災い 」 が 降り かかっ て き て 、 激しい 興奮 状態 に 陥っ た シャロット の 姫 が 、 自ら の 欲求 が 引き起こし た 電気 の 衝撃波 によって 帯電 し た 瞬間 を 描き出し て いる 。 カバー 表 の ジョン ・ ウィリアム ・ ウォーター ハウス ( 1849 - 1917 ) の 絵 ( 1888 ) 【 図 2 】 は 、 詩 に 描か れ た 横たわる 姿 で は なく 、 上体 を 起こし たま まで ある に せよ 、 あくまで 上品 に 青ざめ 、 力 なく 正気 を 失い 漂う 様子 を 捉え て いる 。 そして 、 愛 ゆえ に 狂乱 する 自己 犠牲 的 女性 像 は 、 世紀 末 の オフィーリア 像 に 至っ て 空 前 の 人気 を 博する こと に なる 。 これら の 絵画 から 読み取れる の は 、 男性 は 、 〈 家庭 の 天 使 〉 に は 収まり 切ら ない 、 女性 の 激しい セクシュアリティ に 気づい て 視 淫 の 快楽 を 覚え ながら も 、 それ を 表出 し た 代償 として 狂気 と 死 を 運命 づけ て いる という こと で ある 。 そ こ に 女性 の 潜勢力 へ の 恐怖 を 見て取る の は 容易 だろ う 。 [ 1 ] [ 2 ] ( 左 ) 【 図 1 】   ( 右 ) 【 図 2 】   女性 の セクシュアリティ が 帯びる 潜勢力 ゆえ の 女嫌い 。 それ を 深 読み できる の が 、 カ バー 背 に 採り上げ た 、 官能 的 な 絵画 の 第一人者 ウィリアム ・ アドルフ ・ ブーグロー ( 1825 - 1905 ) の 《 クピド と プシュケー 》 ( 1889 ) 【 図 3 】 だ 。 「 クピド と プシュケー 」 の 物語 そのもの は 、 2 世紀 の ルキウス・アプレイウス による 『 黄金 の ロバ 』 に 登場 する 。 神 で ある クピド と 人間 の 女性 プシュケー と の 禁断 の 愛 。 「 見 て は なら ぬ 」 と の タブー を 破 り 、 プシュケー は 夫 の 正体 が クピド で ある こと を 知る 。 その 結果 、 彼 は 彼女 の もと を 去 って しまう 。 彼 を 求め て 旅 に 出 た プシュケー は 、 彼 の 母親 で 彼女 の 美し さ に 嫉妬 する ウ ェヌス が 課する 幾多 の 試練 に 耐え なけれ ば なら なく なる 。 最後 に は 長い 眠り に 落ち て い た プシュケー を 、 クピド が キス によって 目覚め させ 、 神聖 な 結婚 へ と 至る 。 ラテン語 で クピド は 「 愛 」 、 ギリシア 語 で プシュケー は 「 魂 」 を 意味 する ところ から 、 この 物語 は 「 魂 は 愛 を 求める 」 こと の メタ ファー として 解釈 さ れ た 。 さまざま な おとぎ話 の 原型 と なっ て いる こと から も 分かる よう に 、 高い 人気 を 誇り 、 美術 で も たびたび 題材 と なっ た 。 絵画 で は 魂 は しばしば 蝶 で 表わさ れる ため 、 画面 の どこ か に 蝶 が 飛ん で い たり 、 プシ ュケー が 蝶 の 羽 を 背中 に 付け て い たり する 。 したがって 、 カバー 背 に 蝶 の 羽 が 浮き出 た デザイン は 、 図版 の 意味 する ところ を 的確 に 捉え て いる 。 [ 3 ] 【 図 3 】   ところが 、 図版 を よく よく 見 て みる と 、 ブーグロー の 描く 羽 は 飛翔 する に は 役に立ち そう も ない 、 奇妙 な 、 あまりに 小さい もの で ある 。 それ に 、 蝶 と いう より は 蛾 の もの に 似 て いる 。 そもそも 神話 で は 、 エロス 、 アモル と も 呼ば れる クピド の 方 が 好色 で ある 。 しかし ブーグロー は 、 クピド を プシュケー より 神様 らしく する こと で 、 この 物語 を 19 世 紀 後期 の 人々 の 期待 に 沿う よう に 調整 し た 。 すなわち 、 クピド に は 9 階 級 全 天使 の 第 1 位 で ある 熾 ( し ) 天使 の 羽 が 与え られ 、 加え て 、 プシュケー によって 表象 さ れる 愛 より 、 さらに 高度 な 愛 を 追求 し て 上方 に 向かっ て 飛ん で 行く 姿 で 描か れ た の で ある 。 それ に 対 し て 、 クピド に 抱擁 さ れ 頭 を 後ろ に 反らし 、 体 が 疲れ 果て て いる よう に 見える プシュケ ー は 、 官能 性 が 強調 さ れ て いる 。 一 人 で は 飛べ ない 彼女 は 、 クピド に ぶら下がり 、 至高 を 目指す 少年 の 重石 ( おもし ) に なる という 役割 が 押しつけ られ た の で ある 。 男性 の 超 越 と それ を 邪魔 する 女性 という 象徴 体系 に 沿っ た 一 幅 の 絵画 と 言えよ う 。   こうした 女性 嫌悪 の 行く 着く 先 は 、 同性愛 、 それ も 古代 ギリシア で 理想 と さ れ た 少年 愛 と なる 。 もちろん 古代 ギリシア と は 違っ て 、 ヴィクトリア 朝 社会 が 同性愛 に対して 寛 容 な 態度 を 示す こと は なかっ た 。 それ は 、 見え ながら も 隠さ れ た 欲求 と なる 。 本書 で は 、 そうした 意味 を 込め て 、 扉 に シメオン・ソロモン ( 1840 - 1905 ) の 《 花嫁 、 花婿 、 悲し き アモル 》 ( 1865 ) 【 図 4 】 を 配し た 。 この 線画 は 、 ソロモン の 作品 の なか で は 最も 性的 暗示 の 強い もの で ある 。 人物 像 は 古典 の タイプ に 近く 、 特に 中央 の 男性 は 、 筋肉質 な 身 体 に 短く 刈り込ん だ 髪 で 、 ミケランジェロ ( 1475 - 1564 ) の 《 ダヴィデ 》 ( 1504 ) を 想起 さ せる 。 そして 、 逞しい 彼 が 美しい 花嫁 を 抱き 寄せる 様 は 、 家父長制 イデオロギー に 則 っ た 異性 愛 そのもの で ある 。 しかし 、 彼 の 男らし さ は 、 少年 の 姿 を し た アモル に対する 愛撫 によって 覆さ れる 。 これ は 花嫁 から 見え ない 行為 で あり 、 ソロモン は 、 社会 から 隠 蔽 さ れ て い た 、 微妙 で 危険 な 領域 、 すなわち 年長 の 男性 による 少年 愛 に 言及 し て いる の だ 。 男性 は これ を 最後 に アモル と 別れ 、 新しい 人生 を 踏み出す の か 、 それとも 密か に 性 の 二 重 生活 を 送る こと に なる の だろ う か 。 両 性愛 を テーマ に し 同性 間 の 接触 を 描い て い る こと から 、 ソロモン は ごく 親しい 仲間 だけ に 見せ た もの と 考え られる 。 だが 、 詩人 ア ルジャノン・チャールズ・スウィンバーン ( 1837 - 1909 ) と 互いに その サド・マゾ 的 傾向 を 刺激 し 合う よう に なっ て から は 、 徐々に 大胆 に なっ て ゆき 、 展覧 会 作品 に も 自身 の 性 的 嗜好 が 滲み 出る よう に なる 。 そして 1873 年 に は 、 同性愛 の か ど で 逮捕 さ れ て しまう の で ある 。 [ 4 ]【 図 4 】   この よう に 絵画 一つ 取り上げ て も 、 そこ に は セクシュアリティ が 横溢 し て いる 。 もち ろ ん 画家 たち は 、 猥褻 と 非難 さ れ ない ため に 、 本 コラム で 取り上げ た 図版 に も 見 られる よう に 、 多く の 場合 、 神話 ・ 伝承 ・ 文学 など と 関連 さ せ た 。 だが 同時に 神 々 や 英雄 は 、 人間 の 情念 や 運命 を 凝縮 し た よう な 、 人間 以上 に 感情 的 な 存在 で あり 、 彼ら の セクシュ アリティ は 人間 精神 そのもの と 強く 結びつい て いる の だ 。 そうした セクシュアリティ を いかに 表現 する か 、 あるいは 、 表現 さ れ た もの を いかに 読み取る か は 、 家父長制 イデオ ロギー を 基軸 と する 権力 に対する 姿勢 次第 で ある 。 権力 は 、 芸術 、 法律 、 宗教 、 人類 学 、 哲学 など あらゆる 領域 から 成る 「 知 」 の 体系 を 確立 し 、 性 を 抑圧 する と 同時に 、 絶え 間 ない 言説 化 によって 「 正常 」 と 「 異常 」 を 明確 に しよ う と する 。 この 状況 に 疑問 を 感 じ 、 密か に あるいは 公然 と 反抗 する 者 が 出 て くる の は 当然 の 成り行き で あろ う 。 彼ら の 内 に 胎動 する セクシュアリティ に 気づく とき 、 私 たち は ヴィクトリア 朝 が いかに 権力 と 性 と の 闘い の 場 で あっ た か を 理解 する 。 現代 に 生きる 私 たち は 、 社会 ・ 経済 の 変化 を 伴 う 時 の 経過 によって 、 多様 な 性愛 や 家族 の あり方 を 獲得 し た か に 見える 。 今や マスメデ ィア など を通して 、 女性 が 男性 を 商品 化 する 時代 で も ある 。 美少年 が 女性 の 視 淫 の 対象 と なり 、 「 愛でる 女 」 と 「 愛で られる 男 」 の 関係 が 生じ さえ する 。 ここ に 至る 長い 道 の り の 起点 に 、 ヴィクトリア 朝 における 権力 と 性 と の 闘い が ある の で は ない だろ う か 。 そ の 意味 で 、 セクシュアリティ という 、 ヴィクトリア 朝 文化 を 語る うえ で 避け がたい テー マ を 扱っ た 本書 は 、 表現 の 自由 を 獲得 し た か に 見える 私 たち 自身 の セクシュアリティ を 、 もう一度 権力 と の 関係 の なか に 置い て 見つめ 直す 機会 を 与え て くれる の で ある 。 [ 978 - 4 - 7791 - 2277 - 4 ] ◉『 セクシュアリティ と ヴィクトリア 朝 文化 』 カテゴリー : ほんの ヒトコト [ Twitter _ So ] [ f - ogo _ RGB _] お 問い合わせ     会社 概要     アクセス     リンク 個人 情報 保護 方針     特定 商 取引 法 に 基づく 表示 彩 流 社   03 - 3234 - 5931 〒 101 - 0051 東京 都 千代田 区 神田 神保 町 三 丁目 10 番地 大 行 ビル 6 階 この サイト に は どなた でも 自由 に リンク でき ます 。 掲載 さ れ て いる 文章 ・ 写真 ・ イラス ト の 著作 権 は 、 それぞれ の 著作 者 に あり ます 。 彩 流 社 の 社員 による もの 、 上記 以外 の もの の 著作 権 は 株式会社 彩 流 社 に あり ます 。