早い、安い、美味い、三拍子揃ったパーフェクトなファストフード
ドネルケバブは東京の街中ではかなり一般的なファストフードになりました。
地方でも、お祭りやイベントの屋台でかなり見るので食べたことある人も多いと思います。ドネルケバブ屋から漂ってくる肉とスパイスの香りを嗅ぐと、たまらなく腹が減ってくるものです。
今やドネルケバブは世界中でも当たり前に食べられるファストフードになり、トルコが世界に誇る料理ですが、誰がどのように発明したのかはややこしい議論があります。
1. ドネルケバブの特徴
そもそもドネルケバブとは何か。
google先生の解説によると
「スライスされたスパイシーなラム肉をピタパンに挟んだトルコ料理」
となっています。
重要なのは「ピタパンで挟んだ」というところです。
トルコ料理では「〇〇ケバブ」というのがたくさんありますが、ナイフとフォークを使って椅子に座って食べるのが普通。ドネルケバブはパンで挟んで屋外で食べる「ファストフード」であるという点が他とは違います。
ピタパンに挟んで食べるケバブもトルコでは昔から食べられおり、後に出てきますが、ドイツで初めて生まれたものではありません。
プロイセンの軍人モルトケは、オスマン帝国に軍事顧問として滞在中の1836年6月16日、ケバブサンドイッチを食べて非常に美味しかったと日記に記しています。
私たちはトルコ風のケバブ屋台(キエバチ)で正午の食事をとった。[…] 木の皿の上には、焼いた細切りのマトンの肉をパンに挟んだケバブが登場した。とても味の良い、美味しい食事であった。
„Unser Mittagsmahl nahmen wir ganz türkisch beim Kiebabtschi ein. […] Dann erschien auf einer hölzernen Scheibe der Kiebab oder kleine Stückchen Hammelfleisch, am Spieß gebraten und in Brotteig eingewickelt, ein sehr gutes, schmackhaftes Gericht.“
さらにもう一つ重要な特徴が、「縦型のオーブンで焼く」ことです。
伝統的なジャーケバブやシシケバブなどは、バーベキューのように肉を串で刺してグリルで焼きます。一方、ドネルケバブは熱源を縦に置き肉も縦型に加工して焼くことで、コンパクトな移動式屋台や店の軒先で売ることができる。しかも滴り落ちた肉汁を溜めておいて、スライスした肉に肉汁をまぶして提供することが可能になりました。
この「縦型オーブン」がいつ、誰によって発明されたのかは、いろいろ調べても多くの説があり、見解が定まっていません。
それがイコール、「誰がいつドネルケバブを発明したか」に繋がるので重要なトピックです。
2. 誰がドネルケバブを発明したのか
ブルサのシェフ、イスケンデル・エフェンディ説
オスマン朝の旧都ブルサでレストランを営んでいたイスケンデル・エフェンディが発明したイスケンデルケバブがドネルケバブの祖先であるという説があります。
Photo from "EFSANE DÖNER KEBAP LEZZETİNİN VE İSKENDER MARKASININ ASIRLIK ÖYKÜSÜ" İSKENDER
1867年にエフェンディは、タイムをたっぷり食べて育った質の良いウルダー山のラムを厳選し、縦型のグリルでローストし、ナイフでスライスして肉汁をまぶしてサイコロ状にカットしたパンの上に盛り、トマトとヨーグルトを添え、溶かしバターを全体にかけたケバブを開発しました。
Photo by Adriao
肉汁を余すことなく楽しめるこのケバブはすぐに評判になり、イスケンデルケバブはブルサ名物のケバブとしてトルコ中に広がりました。
イズミル発祥説
一方で、ブルサより前に縦型オーブンがトルコ南西部のイズミルで発明されていたという説もあります。
イズミルの食の歴史を研究するネジャト・イェンテュルクという人は、「食べ歩きイズミル/通りとパン竃のごちそう」という本の中で「19世紀末にイスタンブルで出版された本に、ドネルケバブのことをイズミルケバブと説明している」と主張し、また19世紀末にオスマン帝国を旅した西洋人の記述からも、イズミルがブルサよりも早かったことが分かるとしています。
カスタモヌのハムディ・ウスタ説
トルコ語のウェブサイトの解説にあった説が、1860年にカスタモヌという町でハムディ・ウスタという人物が縦型オーブンを導入してドネルを作ったというもの。彼は古い料理本を研究し、縦型オーブンを「再発明」したそうです。
実際、縦型オーブンは1860年以前から存在した可能性が高いです。
縦型オーブンとドネルケバブを撮影したもので最も古いと言われるこの写真は、イギリスの写真家ジェームズ・ロバートソンが1855年にイスタンブルで撮影したものです。
じゃあ結局ドネルケバブが生まれたのは本当はいつなのか。
はっきりとしたことは分からないというのが正直なところです。
以下は根拠のない僕の憶測に過ぎないのですが、このような縦型のオーブンはもう少し以前からアナトリアにあって、流行ったり廃れたりしながら使われ続けてきたのではないでしょうか?
19世紀に同時多発的にドネル的なケバブが登場したのは、ヨーロッパ人がやってきて旅行記を書いたり写真を撮ったりして記録が残り、それが証拠になっているから。
それ以前は記録が残らなかったり、人々の記憶から忘れ去られただけで、ドネルケバブはもっと長い歴史があってもおかしくないのでは?と個人的に思います。
周辺各国に広がるドネルケバブ
ドネルケバブは1945年にイスタンブルにオープンした高級レストラン、ベイティの人気メニューとなり、この頃には広くトルコ人の人気メニューになっていました。
ドネルケバブはまずは周辺各国にも広がり、レバノンやギリシャでも食べられています。どちらも意味は「ドネル(=回転)」と同じく、アラビア語とギリシャ語でそれぞれ、「回転」を意味する「シャワルマ」「ジャイロ」という名前です。
▽レバノン料理シャワルマ
ジャイロは希土戦争でイズミルやイスタンブルから虐殺を逃れたアルメニア人がギリシャに伝えたという説が有力です。
その後ギリシャ系移民によってニューヨーク経由でシカゴに伝わり、1970年に人気の料理となりました。
▽シカゴ式ジャイロ
Photo by Antonio Fajardo i López
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3. 誰がドイツでドネルケバブを始めたのか
さて、話がまたややこしくなるのですが、一般的にドネルケバブを「発明」したのは、トルコ系ドイツ人のカディル・ヌルマンという人だと言われています。
ヌルマンは1934年にトルコ南部のアンタクヤで生まれ、1960年にドイツ・シュツットガルトに移住。その後1972年に西ベルリンに移住し、ドネルケバブ屋をオープンしました。
ヌルマンは忙しいドイツ人にケバブをもっと手軽に食べてもらうために、サンドイッチ風にして提供したところ大ヒットし、たちまちドイツ中に広がったとされています。
これまでの歴史を踏まえると、ヌルマンがドネルケバブを発明した、というのは疑問符が付きますが、「グローバル料理としての今の形のドネルケバブ・サンドを作った」人物であるとは言えるかもしれません。
一方で、またまた話がややこしいのですが、ドイツで初めてドネルケバブを売り始めたのは誰かというのは別の説があります。
一説によると、1969年にネヴザト・サリムがロイトリンゲンで開業したとか、1971年にメフメト・アイギュンがベルリンに開いたのが初とか言われています。
ただしこれらの主張は公式には認められておらず、今のところヌルマンが最初ということになっています。
4. 世界で進化するドネルケバブ
ドイツで火がついたドネルケバブ人気は、ロンドン、パリ、ローマ、アムステルダムなど西ヨーロッパ全域に広がりました。イギリスでは「深夜の飲んべえの主食(A staple for late-night drinkers)」とまで言われ親しまれています。
ドネルケバブはトルコ発祥の食べ物ですが、西ヨーロッパやアメリカでドネルケバブを売る人たちは必ずしもトルコ出身とは限らず、バルカン、中東、北アフリカ、イラン、キプロスなど様々な出身の移民がドネルケバブを売っています。様々な地域の人々が自分たちの故郷の味でドネルケバブをアレンジして独自の味を作ったり、進出先の国の人の舌に合わせてカスタマイズしたりして、ドネルケバブは進化を続けています。
例えばカナダのノヴァスコシアでは、ギリシャ移民がギリシャ風ドネルケバブ、ジャイロを売ろうとしましたが、当時のカナダ人はラム肉に馴染みがなかったため、代わりに牛肉を使い、ヨーグルトソースの代わりに無糖練乳と砂糖、酢、ザジキ(ギリシャ風の水抜ヨーグルトを使った前菜用ソース)を混ぜた甘いソースを使ったケバブを売り出したところ、たちまちヒット。
このユニークなケバブは「ハリファックスケバブ」と呼ばれ、2015年にノヴァスコシアの公式名物料理に認定されました。
Photo from "WHAT IS THE HALIFAX DONAIR?" TRAVEL YOURSELF
フランスのドネルケバブは、旧植民地のチュニジアやアルジェリアからの移民が経営しているところが多く、北アフリカ名物の唐辛子ペースト、ハリッサを加えるのが定番だそうです。
メキシコのドネルケバブは、アラブ系移民によって20世紀初頭に伝わったシャワルマがメキシコ名物のタコスと合体し、「タコス・アル・パスツール」という定番タコスに進化しました。
Photo by William Neuheisel
最後に、これはドネルケバブではありませんが、日本でも福島県南会津郡只見町が、町おこしのために「味付けマトンケバブ」をB級グルメとして売り出しています。公式サイトによると、昭和30年代ごろ田子倉ダム建設に携わる労働者のために、地元の精肉店が味付マトンを提供するようになったのが始まりだそうです。これは美味しそうです。食べてみたい。
Photo from "只見名物マトンケバブ"
寿司がグローバル料理SUSHIとなって世界各地で独自の進化を続けているように、ドネルケバブもグローバル料理となって今後も進化を続けていくことでしょう。
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まとめ
ドネルケバブの歴史といっても、かなり奥深い歩みがあってかなり面白いです。
なぜここまでドネルケバブが広がったかと言うと、その美味しさはもちろんですが、カスタマイズが無限な汎用性の高さがある点、立ち食いのしやすさ・テイクアウトのしやすさという現代人のライフスタイルに適合する点、そして低い原価で高く売れるという点にあるのではないかと思います。
ハンバーガーやサンドイッチ、ピザ、おにぎりといった食べ物と同じような感じです。
今ではケバブスタンドで売ってる場合がほとんどですが、コンビニとかでもっと手軽に買えるようになったらいいですね。
バックナンバー:料理と歴史
ケチャップの歴史 - 英国流オリエンタルソースからアメリカの味へ
コシャリの歴史 - エジプト発のジャンクフードは日本で流行るか?寿司の歴史 in アメリカ
参考サイト
"Doner dinner: 50 years of the kebab" The Guardian
"Doner kebab and integration: A story worth telling" Al Jiazeera
"Donair History Pt 1: It Began With the Doner Kebab" Eat This Town
"Zuhause in Almanya Türkisch-deutsche Geschichten & Lebenswelten DOSSIER"
" ドネル・ケバブの起源は、イズミル?" TUFS media 日本語で読む中東メディア
"「ドイツで最初のドネル屋はだれか」論争" TUFS media 日本語で読む中東メディア
" İskender/Bursa Döner Kebap" TURKEY TRAVEL PLANNER
" Helmuth Graf von Moltke: Unter dem Halbmond - Kapitel 15" SPIEGEL ONLINE